ぽえむ猫・3
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これぞまさにコロンブスの卵的発想の妙、灯台もと暗し、宇宙の真理は足元に転がっていたのだ、なんて仰々しいことを言ってみますが、それにしても、これはすごい、やばい、そういや、ツタンカーメンの眼がやばいってどこかの女子高生が言ってたな。
はっきりいって公の媒体たるブログなんかを通して発表してしまうのが躊躇われるほどの大発見で、本当はだれにも教えずに、独りイヒヒとほくそ笑みながら世紀の発見にかんぱーい、なんてやりたいもんですが、これをそっと心内に秘めておくのもげに勿体ない。人類みな兄弟、幸せはみんなで分かち合いませ
う。
だから、発表しま~す。
わくわくしますね。ドラドラドラドラドラ(ドラムロールの音)……
その発見とは!
掃除の真髄!!!
つまり、どうすれば部屋が綺麗になるのか美しく見えるのか。
やばい、やばいばかり言っていても始まらないので、要点を掻い摘んで説明すると、掃除とはつまるところ「埃との飽くなき戦い」に尽きるでしょう。
にっくき埃、親の仇の埃、ふらふらへらへら積もっていきながら部屋の美観をそこはかとなく侵食していく魔の化身。
今までは紙屑とか、ポテチの滓とか、大根の皮とか、消しゴムとか、伸びきったパンツなどといったハリウッド級の大物ゴミばかりに注目し、塵芥や髪の毛といったミニシアター級のBマイナー系ごみなど、ふん、ちんけなヤツらめ、と歯牙にもかけなかった私ですが、なんのけなしにこうしたマイナー系
ごみをハンディクリーナーで掃除してみると!
床がぴかりんと輝いてみえるじゃあーりませんか。
埃なんてとバカにしていた自分が恥ずかしい。掃除は埃に始まり、埃に終わるのですね。埃との根競べなのですね。
そういうわけで掃除の真理に気づいてしまった私は、しばらく愛用していたロボモップを背中にかびの生えそうな友人にゆうぱっくで送ってあげました。
ルンルン♪。
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ちなみに嫁は、ジャクソン・ブラウンとジェームス・ブラウンをごっちゃにしていて、あの人、死んだんじゃなかったっけと微笑ましいオトボケをかましていたが、無論、同じブラウンでもジャクソンは現役バリバリ、ってわけでもないけれど、まあ、健在である。
結論。先日のキャロル・キングも懐古趣味なんて言わせないほど圧倒的なパフォーマンスで魅せてくれたが、ジャクソン・ブラウンも素晴らしかった。数年前のアコースティックツアーにも参戦していた同行の友人もいたく感動していた。そのときもやはり、新宿厚生年金会館が会場だったらしく、ジャクソン氏、よっぽどこの会場が気に入ったんでしょうかね。
当然のことながら、聴衆の年齢層はエッフェル塔並みに高かった。たぶん、うちらなんて若いほう。
そして、見つけた。
我らの数列前方に、凡人とは一線を画するノリで、魔物に憑依されたかごとくビートに合わせて激しく体を揺さぶる二人組。
ひとりは下町の工場の社長風の、ビートたけし扮する「冗談じゃないよ」のギャクで有名な鬼瓦権造を思わせる風貌の老オヤジ。
もうひとりは、頭にペーズリー柄のバンダナ、ジージャンにジーパンというなりの佐藤蛾次郎そっくりの髭オヤジ。
そう、元ヒッピー族である。
きっと若かりし頃はイージーライダーに憧れ、なけなしの金をはたいてふたり連れだって渡米、チョッパーのハーレーをレンタルし、ぼーんつーびーわ~いるど、なんて青空に向かって絶唱しながら、ハイウェイ66を時速百マイルで暴走して一陣の風となったに相違ない。
そんな彼らも互いに歳を重ね、別々の道を歩み、家庭を築き、一戸建てを
購入してローン地獄に苦しみ、息子がぐれ、娘を嫁に出して結婚式で号泣し、初孫の成長を見守るのが老後の楽しみじゃわい、ふおっふおっふおっ、なんつって人生の黄昏どきを過ごしているのだが、ジャクソン・ブラウンのような同時代を生き抜いたアーチストが来日するときのみ、そのヒッピーの血が燃えたぎり、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーになりきって再会、あの青春をもう一度とばかりに一心不乱に音楽に身を委ねているのであろう。
素敵だ。
ライブが感動のうちに終了し、照明がつくと、その淡い光に彼らの曇りない笑顔が輝いてみえた。
いいね。実にいいよ、オヤジ。またどこかの会場で会いたいよ。
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嫁が香港から帰国した。
とたん、猫たちがゴハンをうまうまと食うようになった。おれの拵えるメシがそんなにまずいか、星ひと~つか。なぜだ、なぜなんだ。教えてくれ、どらみちゃん。
香港土産の話。現地で流行っているらしい袋ラーメン、「出前一丁」の多彩なフレーバー、つまり、現地でしか売っていないフレーバーを種々みつくろって買ってきてくれ、と頼んでおいたら、嫁、買ってきてくれました。近所のコンビニにも売っている、きわめて見慣れた「醤油味」をぽいとひと袋。しばし沈黙。
朝、そのコンビニにいつものようにティーシャーツ姿でのこのこ出かけていき、あ
の人寒くないのかしらチックな好奇のまなざしを浴びつつ、愛読紙たる報知新聞とパンをつかみとり、これを購入せんとレジに向かい支払いを済ませようとすると、宇崎竜童似の店員に、
「ふーろいしゃっすかー?」
と訊かれ、はてと文意を推測したが判然とせず、
「ぱーどん?」
「ふーろ、べっしゃっすかー?」
と、若干アレンジが施されてはいるものの前者と大差ない回答。あれ、ここって、言葉の通じないアルゼンチンのコンビニでしたっけ、と訝ると、当の宇崎竜童は左手に報知新聞を持ち、右手でビニール袋の口を開け放つというポジションを保ちつつ、自らの問いに対する私の是非の判断を待っている。
宇崎竜童は、
「袋、べつにしますかー?」
と訊いていたのだ。
そんなもんいちいち別にすんなや、エコじゃないっしょ。疑問が氷解した私は、レジに流れるアルゼンチンの空気を打破すべく、
「いえ、いっしょで」
と答えた。
帰りしな、コンビニの外で主人を待つ犬に吠えられた。
わんわんわんわん、と相槌を打った。
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ねこ係のいないこの5日間、ヒステリーを起こすことも、ちゃぶ台をひっくり返すこともなく、健気に耐え抜いてみせたわ。
そうよ、今夜、ねこ係が帰ってくるのよ。
今頃はきっと機上の人となって、漢方薬の饐えた香りに満ち満ちたホンコンから、猫族の、猫族による、猫族のための政治体制が敷かれるじゃっぽーんに向かってるところね。たぶん、あたしへのお土産を膝いっぱいに抱えて、にやにや、へらへらしながらナッツでもほおばってるんじゃないかしら。
それにつけても、せんせいは呑気なもんね。
今週はホンヤクがひと段落したのをいいことに、まだおてんとうさまの高いうちから、これがうまいんだな、これが、キレとコクがちがーわね、なんて嘯いて、ジンジャードラフトを浴びるように呑んで、ジミヘンになりきってギターを弾きまくってたもの。バカよ、バカ。うるさいったらありゃしない。
結局、せんせいの盛り付けに関しては、まったく改善が見られなかったわ。それどころか、三歩進んで五歩下がる、ぐらいの勢いでヘタになってったわね。センスなし雄。
でも、まあ、努力は認めてあげるわ。近所のお寺に住んでるノラちゃんたちへの給餌も一日二回、ボサボサ頭に半袖ティーシャーツって風貌できちんとこなしてたし。
終わりよければすべてよし、ねこ係も帰ってくることだし、明日からはまたいつもの日常が戻ってくるわ。
それと、おいしいゴハンもね。
ちょっと、せんせい、トイレの掃除がまだ終わってないわよっ!!!
うっきききききききききいききききいいいいきっつきいっついきいいい~!!!!!!!!!!!!!
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あたしの手がこんな肉球とかついてなくて、ポヨンポヨンになってなけりゃ、さっさとこんな家は出て佐川急便でもペリカン便でもなんでもバイトして、自活して、自炊して、狭いけどコージーなおうちを見つけて、独りで世間を渡っていってみせるわ。
なにをそんなに自棄になってるのかって、わかるでしょ。せんせいよ、せんせい。
前にも言ったけど、せんせいのゴハンの盛り付けのヘタさ加減ときたら、
日本一どころか、世界一、ううん、銀河系一ひどいのね。いわば、グリーンフィッシュのおいしさを片っ端から破壊しちゃう、ターミネーターみたいな盛り付けなの。食欲がすっかり萎えちゃって、こんなの強制ダイエットと変わらないわ。あたしは今でも充分、渚のセクスィーガールだっての。
ああ、まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいわ。まっずいーわ、まっずーいーわーわわわ。
と、いくら恨み節を並べ立てたところで、配膳されるのはせんせいのゴハンだけだし、ハンストでも起こそうかと思ったけど、やっぱ盛り付けには先天的なセンスみたいなものが絡んでくるわけで、せんせいにそういうセンスが欠落してることは、アシスタントのあたしが一番よく知ってるわけ。
三つ子の魂百まで。そういう感性ってやつは簡単には変わらないものよ。
ひょっとして、デルコも、せんせいの盛り付けの拙劣ぶりに嫌気がさして、あんなにブチ切れた素振りを見せたんじゃないかしら。
嗚呼、ねこ係のおいしい盛り付けでゴハンが食べたいわ。
ほら、見てよ。お兄ちゃんがどこか虚ろな遠い目をして外を見つめてる。ねこ
係のゴハンに想いを馳せてるんでしょうね。ひょっとしたら、その遥か先に広がるホンコンが見えてるのかもしれないわ。
それにしても、見れば見るほどセンスナッシングの盛り付けね。背筋がゾッとするわ。なんでねこ缶の型がついちゃってるわけ? ほわい? ほわい? ほわーい、なぜーに? 助けて、永ちゃん。
目をつぶって食べよっと。
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この世には、猫やニンゲンの力だけではどうにもならないことがあるわ。
何のことかって、決まってるでしょ、デルコよ、デルコ。
昨晩、せんせいが、香港で散財に興じてるねこ係と国際電話でみーちんぐして決めたのよ。デルコをリリースするって。
必死で頑張ったのよ。デルコに心を開いてもらおうと、にゃあにゃあ、にゃあにゃあ、
うっきっきききっ~、うにゃ~、うにゃらぱ~なんつって励ましてきたけど、当の本人は、がるるるるっ~、しゃーっ、しゃーって唸るばかりで、その瞳に恨めしさを浮かべて、こっちをじっとりと見てくる。
しかも、ケージを自分の縄張りに指定したみたいで、せんせいがボケッとなかに手を入れると、居合抜きみたいにシュッ!って前脚を振り抜いて、猫ぱんちを食らわしてくるわけね。
言っとくけど、今はもうすっかり太っちゃったミッキー・ロークの猫ぱんちとは切れも威力も比べものにならないわ。なにしろ、爪を鋭く立てて攻撃してくるから、ちょっと古いけど、キン肉マンに出てくるウォーズマンってロボ超人のベアークローみたい。コーホー、コーホー、ってなもんよ。
せんせいの盛り付けが気に入らないのか(まあ、気持ちはわかるわ)、ゴハンにもほとんと口をつけないし、トイレも我慢してるし、このままじゃ体をおかしくしちゃうわ。
だから、リリースしたの。
キャリーバッグに移し替えようかと思ったけ
ど、失敗して逃げられちゃってベッドの下とかに入り込んじゃっておーまいがっ、みたいなことになったら目も当てられないし、以前にも締切間近の朝の5時頃にそういう苦い経験をしてたから、ケージごと台車で運んだわ。
ま、避妊手術は済んでるし、猫エイズも白血病も陰性だったから、最低限、 やれることはやってあげたし、これでヨシとしなきゃね。
結局のところ、自分たちにできる範囲で、ニンゲンに捨てられた哀れなノラ ちゃんたちを助けていくしかないでしょ。まずは隗より始めよ、背伸びするとロクなことにならないわ。小室哲哉なんていい例でしょ。調子こくと、因果が巡ってああいう悲惨な末路をたどるわけ。
さてと、次の子が待ってるわ。
いつ帰ってくるのかしら、ねこ係。
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これだけ心配したら、そりゃ、あたしのトレードマークたるデコの「ハ」の字も薄くなるってもんよ。
何が心配って、わかるでしょ。デルコよ、デルコ。ついこないだ、ホンコンで物見遊山してる最中のねこ係が保護してきたばっかりの新顔よ。
とってもかわいい子なんだけど、ちょっと警戒心が強いのよね。あたしも元
ホームレスだからわかるけど、外の暮らしは寒いわ、お腹は減るわ、ひどいニンゲンに虐められるわで、そりゃあ、厳しいもんよ。
でも、このデルコちゃんは生まれつき警戒心が強いのね。猫にもいろいろ個性があって、ぜんぶがぜんぶドラえもんみたいにニンゲン界が好きってわけじゃないの。人づきあいが苦手なニンゲンがいるように、猫づきあいが苦手な猫もいるわけよ。
あたしとけろ兄ちゃんとで、その凍りついた心を溶かしてあげようと鋭意努力してる(ていうか、近づいてにゃあにゃあ、うききっと鳴くだけだけど、ホレイショのときはこれが効果てきめんだったわ)けど、難しいわ。
警戒心が強いうえに石みたいな頑固ガールだから、あたいに近づくんじゃないわよっ、てな勢いで啖呵切られて、うーっ、ぐるるるるっ、って唸られちゃうの。
非暴力的平和主義を標榜するガンジーみたいなお兄ちゃんは、はっきりい
ってびびり気味ね、もう。たいがいの猫はお兄ちゃんの「遊ぼうよ、遊ぼうよ」攻撃のまえにあえなく陥落するんだけど、デルコちゃんはかたくなだわ。
トイレも我慢してるみたい。猫にかつおぶし、じゃないけど、せんせいの作った美味しいスペシャルご飯を置いとけば、うひゃうひゃパクつくんじゃないかしら、と思ったんだけど……
現実は甘くないわ。
ホレイショのときのようにはいかないかもしれないわね。
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ホンコンにいっちゃったのよ。
誰がって、わかるでしょ。おかーさんよ、ねこ係の。
会社の社員旅行で、ホンコンに行くんですって。リーマンショックで世界的な不況が懸念されるこのご時世に、豪気なものね。ホンコンっておいしいネコ缶とかカリカリとか売ってるのかしら。売ってないの? よく行くわね、そんなところ。おもしろくもなんともないじゃない。
とにかく、それで心配してるのよ。ねこ係がホンコンに行っちゃったら、代理
のねこ係はせんせい、つまり、しがない翻訳人ってことになるわけ。
あ、今、せんせいと言ったのは、私はいちおう、しがない翻訳人のアシスタント2号なのね。アシスタント1号はけろ兄ちゃんよ。
アシスタントっつっても、ほとんど寝てるわ。あはは。この肉球じゃ、ワープロを叩いても、スクリーンが「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」みたいなことになるし、私はおひさまに当たってるほうが好きなの。いいじゃない、別に。人生、一度きりよ。仕事に忙殺される一生なんてまっぴらだわ。
話が脱線したわね。私が何を心配してるかって言うと、せんせいはね、ゴハンの盛り付けがヘタなのよ。正規のねこ係は、まがりなりにもデザインの勉強をしてるだけあって、盛り付けが素敵なのよね。グリーンフィッシュがきらきら輝いて見えて、とてもおいしそう。
でも、せんせいの盛り付けは、なんかもう、いかにもカンヅメから出したものをぼーんてカリカリの上に乗せましたって感じがぷんぷん漂ってきて、とにかくおざなりなのよ。食欲が湧かないの。グリーンフィッシュにカンヅメの型がついちゃってて、なんかてらてら光ってて、いかにもまずそう。
明日の朝ごはんが心配。
けろ兄ちゃんは、私の心配なんかどこ吹く風って感じで、のほほ~んと寝そべってるわ。男っていやね、鈍くて。
先が思いやられるわ。
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結婚記念日、アニバーサリーってなもんで、夜の横浜港をバックに仏国の一品料理の数々を食するという大人の舟遊び、すなわちディナークルーズとやらに興じてきた。
舟はその名を「マリーン・ルージュ号」という。芝居がかった船舶乗務員の案内で、窓際の、中央にスイッチ起動式のキャンドルが置かれた赤いテーブルへと向かい、テーブルにつくと、間もなく舟は二時間の航海へと出発した。
嫁はスパークリングワイン、私はハイネケンを注文、やがて前菜が運ばれてきた。海老の和えものみたいなやつだった。
が、私はアレルギーのため海老が食べられない。あ~損したと思いながら、仕方なく、こ
れを二匹とも嫁にくれてやると、皿にひらりと残された葉っぱだけをもしゃもしゃと貪った。葉っぱの味がした。
窓の外では、これも演出のひとつだろう、三次元ホログラム映像のカモメが翼を伸ばし、気持ちよさげに空を滑っていた。カモメは一羽、二羽と増えていき、互いにスピードを競い合うなどして盛り上がっていた。
が、カモメはどんどん増えていった。やめられない、止まらない、やがて窓の外は、漆黒の闇のはずが、数千羽のカモメでまっ白に染まり、これまさにヒッチコックの「鳥」状態。
おそらく、ホログラム装置が故障し、夜空に投影するカモメの数を制御できなくなってしまったのであろう。スタッフが慌ただしく走っていた。
続いて、スープが運ばれてきた。なんだか缶詰っぽかった。うまい、と言えば美味しく感じるかと思い、うまい、と呟いてみたが、やっぱり缶詰っぽかった。
魚料理が運ばれてきた。今度はオマール海老が乗っていたので、これも嫁にくれてやった。残された鯛だけうまうま食った。
肉料理が運ばれてきた。まずくはなかった。が、うまくもなかった。なんていうか、すっごいフツー。印象に残らない味だった。無性にとんこつラーメンが食いたくなった。デザートもフツー。
これで価格はお一人様壱萬壱千円也。まあ、コース料理だけでなく、夜景やクルージング
も含めた対価なので、そう考えれば悪くない、ぎりぎり許せる。
ちなみに去年の結婚記念日は、やはり横浜のぷかり桟橋に浮かぶ瀟洒なレストランでディナーを誂えたが、隣の席に座った残業後のサラリーマン風三人組の一人が離婚をしようかどうか悩んでいる、といった話をおっ始めやがって、ロマンチックな空気をぶち壊しにされ、もやもやした気持ちで家に帰った。
帰り際、舟のデッキで、ロバート(仮名)にむんずと腕をつかまれ、「Can you take a picture?」と唐突に頼まれた。「しゅあ」と言ってデジカメのシャッターを押した。
来年はばっちり決めたい。
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キャロル・キングのコンサートを鑑賞するため、虚ろな衆生の世に顕現せし魔窟のひとつ、ガングロ、コギャル、腰穿きズボンといった物の怪が昼夜を問わず徘徊する街、東京は渋谷まで出掛けていった。
キャロル・キングも、もう66歳。
1971年に発表されたアルバム、邦題「つづれおり」は、老いも若きもロック好きもポップス好きもパンク好きもヘビメタ野郎も引きこもりもニートもホームレスも必聴の、一生の宝物になること間違いなしの、ささくれだった暮らしに潤いを与えてくれる、一片の隙もない、一人一枚持たなきゃ終身刑という法律が来年にでも施行されて然るべき名盤なので、持っていない人はすぐにアマゾンで購入すべし。
キャロル・キングの素晴らしさについては、その手のファンサイトがネット上
に溢れているので、そちらを拝見されたし。
ライブは実によかった。
ベスト・ヒット・ライブと銘打っているだけあり、最初から最後まで名曲、名曲、名曲、名曲のオンパレード、強いて言うなら、19人の料理の鉄人が各自拵えた料理を詰め込んだ幕の内弁当のような豪華さで、全19曲、余すところなく堪能できた。
ピアノとアコギ2本のみというシンプルなセットもよかった。シンプルな構成だけに彼女の歌声がじかに心に響き、染みた。
会場も超大物にしてはほどよい大きさで、キャロル・キングを近くに感じられた。
向って右手の帽子を被ったサポートギタリストも、おちゃめな所作とジョージ・ハリソンのような微妙だが味のあるギター、飾らないプレイでもってコンサートのコンセプトたる「Welcome to my living room」を体現しているようで、惚れた。
それにしても、とんでもない66歳である。声が若い。声量もすごい。ピアノのプレイも繊細かつ豪快、音のひとつひとつが弾けるような演奏だった。
会場についてチケットが幾らだったのか初めて知らされた嫁は、その額にしばらく放心状態に陥り、周囲に空虚なオーラを漂わせていたが、ライブが進むにつれ、音楽のもたらす癒しの効果によって心が解放されていき、アンコールの「You've got a friend」ではもう、感極まっていた。
クールで鳴らす我が嫁をして感涙せしむるとは、すごいぜ、キャロル・キング。
いや~、素敵な夜でした。
まだ国際フォーラムのライブが残っているので、音楽好きの方は、ぜひ。
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まったく、人の暮らしはどこまで便利になるのか。
いつものようにスポーツ報知を捲っていて、虚ろな心で通販広告を眺めていると、「靴下のなる樹」が紹介されていた。こんなもの誰が買うんだ、くだらない、と一蹴したが、愛用者の熱いコメントを読んでみると、なかなかどうして、経済的だ、環境にやさしい、樹になった靴下をもぐのが楽しみで早起きしてしまう、見た目がキュート、パーティにもってこい、救われた、などの理由から、静かなブームを巻き起こしているというではないか。
これだ、と思った。嫁がつねづね毒づいていたっけ。ソックスの洗濯ほど忌々しいものはない、
ぜんぶ干したら洗濯ばさみが足りなくなってジーンズが干せないじゃないの、ふざけないで、この金髪の靴下ヤロウ、ちまちましてんじゃないわよ、と。
まあ、靴下に罪はないのだが、夫としては、これはなんとかしてやらにゃあかん、と、いつも不憫に思っていたのである。
ちなみに、そうした背景から、我が家の靴下は黒で統一されている。
なぜならば、靴下というふざけた輩は二枚一組であって、これを洗濯し干したのち取り込むと、ソファの上に天をつく靴下の山ができあがる。続いて、かかる山のなかから、例えば、赤いやつと赤いやつを見つけ、これを重ねてくるくると丸め、ようやくタンスに仕舞える状態となる。
だが、時折、赤いやつとピンクのやつ、微妙にオレンジがかったやつ、元は赤だったけど色落ちして薄くなったやつ、ぽにょのアップリケがついたやつ、などをつかんでしまい、赤いペアの片方が見つからない、どこだ、どこだ、これは青だ、これはストライプだ、ああもう、どこですかー、うきーっ、責任者出てこい、と逆上するにいたる。
だから、最初から靴下をぜんぶ黒にしているわけですね、我が家は。そしたら、ペアが合わないって憤怒する必要もない。
だって、ぜんぶ黒だから。男も女も関係なし。黒で統一。すっきりと。
念のため、「靴下のなる樹」のことを存じ上げていない方もいらっしゃると思うので、概要を記しておく。
「靴下のなる樹」とは、松ぼっくりの代わりに靴下がぽんぽん生える、盆栽ふうのチャーミングな松の木のことであり、その仕組みをかいつまんで説明すると、松の木を遺伝子レベルまで分解し、そこにマイクロ化した靴下の繊維を組み込むことによって枝先から靴下が生えるように改造した、いわば、遺伝子操作の産物である。
世話もちょー簡単。一週間に一度、水を遣るだけですくすく育つ。しかも、遺伝子操作で成長の促進を制御しているため、一定の大きさまでしか育たない。
よって、室内での容易な栽培が可能となる。
靴下は毎朝、3組ほど生える。
今朝、試しにひとつもいでみた。もいでみて気づいたのだが、意外なことに、もぎ取るというよりは、すぽん、すぽぽーん、と枝から抜けるような感触であり、その具合がなんとも心地よく、癖になる。はまる。
この靴下は使い捨てが原則だが、なんといっても植物なので、一日履いて汚れ
た靴下を脱いで鉢に入れておけば、成分が分解して土に還り、それがまた「靴下のなる樹」の栄養源になるという、きわめてエコなサイクルを実現している。
今のところ、黒、白、青の三色が市販されている。
普段、靴下に日々の穏やかな生活を侵食されている、と感じている方は、ぜひ一度、お試しあれ。
値段は価格ドットコムで調べてください。
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淡い期待を胸に、駅の連絡通路に虚しく立ち並ぶ公衆電話へとつかつか歩を進め、これに正対し、買ったばかりのテレフォンカードを挿入、というのも、鍵がないことに気づいて街をぐるぐるしてようやく駅でペイフォンを見つけて電話をかけたとき、恥ずかしながら、私、軽くパニくっていたというか、財布に入っていた数枚の10円硬貨が底を尽きると、釣銭の貰えない100円硬貨を惜しげもなくじゃんじゃん投入、大フィーバーを演じ、どえらい出費を食らっていたので、いったん冷静になった頭でテレフォンカードをコンビニにて購入した次第。
賢いね、まったく。これでもう、浜松だろうか北海道だろうがジンバブエだろうが電話できるぜ。へへ。勝った。
で、母に電話してみると、先刻まで哀れな子羊を仁愛の眼で見守ってくれていた神さんはやぼ用ができて隣町に行ってしまったのか、母から、
やっぱ、嫁のナンバー、探したけど見つからないわ。ごめんね。
との返事が。がーん、がーん、がーん。虚ろに反響する心の鐘の音。
参った。マジ、参った。がちょーん。
私、パジャマ姿のまま、四度、途方に暮れた。憔悴しきった表情も手伝って、傍目には、痛飲し朝帰りののち、おっかない嫁に家を蹴り出されたハゲおやじにしか見えなかったであろう。
鉄板と思われた「母親にすがりつき作戦」がもろくも頓挫し、残された選択肢はいくつかあったが、そのどれも一長一短で決め手に欠けた。
①川崎に住まう、嫁の同僚のマンションをアポなし訪問し、嫁の携帯ナンバーを伝授してもらう。(リスク:土曜日なので、かかる同僚が外出している可能性が高い)
②鍵屋に頼む。(リスク:以前、夜中に、トイレ詰まりを解消してもらうべく、同系の業者を呼んだことがあったが、このとき、電話では5000円と言ったくせに、いざ来てみたら、最新のトイレ詰まり解消装置を使わないとムリと放言され、結局、20,000円以上請求された苦い記憶を引き合いに出すまでもなく、こうした鍵屋は法外な技術料を請求してくる恐れがある)
③パジャマ姿のまま、ビジネスホテルに泊まる。(リスク:ねこーずにご飯を与えられないため、嫁にコテンパンに叱責される)
④パジャマ姿のまま、野営。(リスク:そのままあっちの世界にふらふらと流れていってしまう可能性がある)
マジ、どうしよう、と脳漿を絞ってみたが、各チョイスにつきまとうリスクを考えると、なかなか踏ん切りがつかない。
気がつくと、私、ほとんど無意識のうちに、再びテレフォンカードを挿入し受話器を手に取り、母に電話していた。
と、神が隣町のやぼ用を終えて戻ってきた。
あったわ、ナンバー。メモが見つかったわ、と、母。
ありがとう、お母さん。ぼくを産んでくれてありがとう。これからはまっとうに人生を歩んでいきます。人という字は1と1が支えあって……
嫁の携帯ナンバーさえ入手すれば、こっちのもの。さっきコンビニで購入した海苔巻をほおばって誰にともなく余裕を見せつけ、人心地ついたところで、電話した。
しかし、すでに思考の切れ味が復活し、勝利を確信していた私のコンピュータは、たちまちのうちに最善策を弾き出した。
二人の中間地点である小田原にて落ち合い、そこで鍵を受け取るという寸法である。嫁には静岡から1時間かけて新幹線で戻ってもらい、私は車で1時間かけて小田原へ向かう。
実に経済的で無駄のない作戦と言えよう。
パジャマ姿のままサービスエリアでコーヒーを購入し、それを飲みつつ、パジャマ姿のまま料金所で高速代をペイし、パジャマ姿で小田原駅に到着すると、パジャマ姿のまま悠揚迫らぬ足取りでずんずんと構内に入っていき、新幹線口に到達、鼻息も荒く、鍵を受け取った。
心のなかでロッキーのテーマ曲が流れた。
俺は勝った、勝ったんだ。
パジャマ姿の私、午後の予定はすべてキャンセルとなった。うう。
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となると、嫁の携帯ナンバーを知っている公算の高い人物、すなわち、嫁の実家の親兄弟に連絡をとってみるしかないと踏み、そこで、はたと立ち止まる。
そもそも手帖代わりのケータイを家に忘れてきた時点で、嫁の実家の電話番号がわかる由無し。うう。
私、パジャマ姿のまま、再び途方に暮れる。
そうだ、番号案内。そういう便利なシステムがあったっけ。嫁の実家の番地は「浜松市」までしかわからなかった
が、一縷の望みを胸に104をダイアルし、オペレータに、いや、住所がね、浜松市までしかわからんのですよ、あはは、とへらへら笑いながらナンバーの照会を求めたところ、神様ありがとう、番号が見つかった。
メカニカルな音声案内の告げるナンバーを、駅ビルの二階の雑貨屋で適当にみつくろった「ポケモンらくがき帳」に書きなぐり、公衆電話の受話器を架台に戻し、教えられたナンバーをダイアルしてみると、
不在。ぴーという発信音のあとになんやらかんやらという無慈悲な音声が流れる。
むべなるかな。なんとなれば、先述のとおり、浜松の家人はみな、祖母の傘寿を祝うため、なんとかという街のなんとかというホテルまで出掛けていたのであるからして。
私、三度、パジャマ姿のまま、途方に暮れる。
ひとしきり途方に暮れてから、はたと、ひょっとしたら我が母が嫁のナンバーを知っているかもしれんと思い至り、藁にもすがる心境で、母に電話してみた。かくかくしかじかというわけで、嫁のナンバーを知らないかしらんと問うと、知っているかもしれない、調べてみるわという返答。で、私、10分後に掛け直すと言って電話を切った。
その10分を利用して、不測の事態に備え、手近なATMで二万円をおろしてきた。
パート3へ続く。
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実家の祖母の傘寿を祝うため、週末、嫁が浜松に帰郷するというので、しがない翻訳人、土曜の朝に早起きし、パジャマ姿のまま、ぼんやりとした頭で、嫁を乗せて、新横浜の駅まで送っていった。
ねこーずの世話があるので、なかなか二人同時には家を空けられない。
駅弁を買って新幹線ライドを楽しめと念を押してから、新横浜の駅で嫁と別れ、いざ、ヴィッツ号を駆って家に帰ってみると、
鍵がない。
やっちまったぜ、べいびー。
嫁が鍵を持っていってしもうた。家から閉め出されてもうた。午後は予定があるってのに、パジャマ姿だよ、おい。
夫婦そろって愚かなことに、この失態、二度目だったりする。前回は嫁の向かった先が近場だったので大事には至らなかったが、今回、くだんの嫁はすでに弾丸列車、麗しの新幹線に乗り込み浜松に向かっているところ。
しかも、しがない翻訳人、携帯を持っておりませぬ。家に置きっぱなし。なんつーかね、外出するときゃ身軽でいたいんですよね、私。
と、己の主張を通したところで、平生から携帯電話の利便性の享受に慣れてしまっている怠惰なホモサピエンスは、一度かかる道具を奪われると、翼を失った鳥のごとく、途方に暮れてしまう。
鍵を持っている嫁に連絡がつかない。どないしょ。
携帯がないなら公衆電話にすがるしかない。が、その公衆電話がない。赤電話が、緑電話が、灰色電話がない。
携帯を奪われて初めて実感する社会の変化。以前はコンビニなどに赴けば簡単に見つかったはずだが、老いも若きも携帯を手にするに至った昨今、公衆電話はその役割をまっとうしたのか、街の各所から撤去され、今ではその姿を見かけることも珍しくなっており、そんなわけで、私、とても困った。
車で近所をぐるぐるまわって公衆電話を探してみるが、マジでない。
となると、現在、公衆電話が設置されている可能性が高い場所は、そう、駅。
で、車をコインパーキングに停めて、パジャマ姿のまま、土曜出勤のサラリーびとが行き交う駅に行ってみた。あった。ひとまず安心。
が、私は嫁の携帯番号を知らない、記憶していない。なんとなれば、携帯にはメモリーという便利な装置が搭載されており、家族知人契約会社などなど、自分にとって必要とされるナンバーはボタンひとつで呼び出せ、電話のアイコンが描かれたボタンを押すことによっていとも簡単に電話をかけることができるため、今のご時世、手帖などにナンバーをメモして持ち歩く必要がほとんどないのである。なんて便利至極なアイテムなんでしょう、携帯。うう。
長いので、次回に続く。
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ごみ捨てがある日に、悩む。
何に悩むかというと、自動昇降機、お洒落に言うならエレベータ。
その高速で人を地上まで輸送せしむる便利な箱に乗るべきか乗らざるべきか煩悶する。あーもうどうしようって髪の毛をくしゃくしゃやって。
拙宅はマンションの七階に位置しており、階段をほいほい降りて一階まで行く
のはおっくう、というかめんどい。距離も運動量もたかが知れているが、人なんてね、できるだけラクしたいんですよ、やっぱり。
てなわけで、エレベータ。乗りましょう、エレベータ。愉快に、爽快に。
ところが、朝、厳密には午前8時前後の時間帯、この世にも便利な箱がやって来ない。なんでやねんというと、巷間はいわゆる通勤ラッシュというやつがたけなわでして、この折、都心で勤めるサラリーびとや近所の学校などに通う児童たちがわらわらと、あーねむてー、だりー、なんて呟きながら、みな、上記のとおりたいした距離じゃないものの、階段を使うのは人としてめんどいので、この便利な箱を利用しない手はないと、昇降
機の下降ボタンをプッシュするに至る。
で、うちは七階なので、エレベータが六階で停まって下に向かった直後に七階で下降ボタンを押して箱を呼んでも、これ、なかなかやってこない。というのも、どういうわけか、我がマンションの三階には児童たちが大挙として住まわっており、彼奴らときたら、ひとりの児童をエレベーターを止める係に任命し、そのあいだに他の児童たちが、なになにちゃんはやくー、エレベータが来てるよー、いやーん待ってよー、かっぽう着忘れちゃった、靴がはいんなーい、などとわいわいやりながら同階に住まうスクールメイツを呼びにいくという連携プレイを行っているからである。
こういうとき悩む。童どもを呪ってもエレベーターはいっこうにやってこない、ていうかまだ三階なので、そこから再始動してもさらに下の階へ向かうだけで、七階に上がってくるのはいつとも知れない。
結局、痺れを切らした私は、児童たちの連携プレイのまえにはかなくも陥落、階段をとぼとぼ歩い
て降りていく。S&Gなどを悲しげに口ずさみながら。
で、ごみを捨てて、部屋に戻ろうとエレベーターの前につっと進むと、たった今二階から七階へと向かって上昇したばかり。
がーん。そういえばさっき自分で押して呼んだんじゃん、七階で。
悲しき朝のひととき。秋風が心の隙間を冷たく吹きぬけてゆく。にゃーっ。
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行楽なんぞ、大金を積まれたって二度と行くものかと誓った。
ちょいと富士裾野までぽんこつヴィッツ号を走らせて、梟たちとホーホー戯れて、陽の落ちるまえに帰宅する。帰宅したら缶ビールをぐいっとやって、あとはもう、チップスをぱりぽり貪って軽く肥えながらフランク・ヘネンロッターの「ブレイン・ダメージ」でも観て、安楽に満ちた三連休の中日が過ぎていく、はずだった。
ところが。駐車場を出て246に乗った瞬間、渋滞。それでもまあ、もさもさ
動きながら、オエイシスなどを声高らかに歌唱しつつ東名入口まで到達。ゲートでチケットを受け取り、いざ、本線へと疾駆していくと、渋滞。横浜青葉インターチェンジのループ状の高架道から、名古屋方面へ向かって三本の車の線が締まりなく延びてゆくのが見える。おーまいがっ。
当然、パーキングエリアも狂ったように混雑。トイレは長蛇の列。少し腹も減ったし、さーて、レストランにでも入ろうかなって思ったが最後、わぎゃあわぎゃあと喚き散らす童どもの狂気に耐えながら、レンジでチンの簡易定食を食らうはめになることは火を見るより明らかなので、さすがに回避。
それでも、まだ、往路。俺たちにはビートルズがある、フレディがいる、ジュリーがついている。カラオケボックスと化したぽんこつの尻を叩いて、御殿場出口へと到達し、さて、あとはもう、ほんのりと雪を冠した富士山や、穂綿のようなススキの平原でも眺めながら、目的地を目指しますかと心のギアを入れなおした刹那、渋滞。
なんでこんなところで混むんだ。意味がわからん。渋滞、渋滞、渋滞。10キロ進むのに一時間かかる。彼らはいったいどこへ行くのか、この先で待つのは神か悪魔か。この時点で、嫁、脱落。シートを倒して、私は外界とは無関係ですとばかりに眠る。
夫も粘ったが、鉄板と思われたビートルズの効果も霧散し、いくら呪っても終わりの見えな
い渋滞に根負けし、やがて脱落。
目的地にすら着くこともなく、そば食って帰りました。
復路の高速もまた渋滞。しかも往路の二倍増し。
もう知るか。勝手にしてください。
休日に車で県外に出るもんじゃないね、こりゃ。阿呆でした。
ガソリン、時間、金子を失い、残ったのは疲れだけ。とほほ。
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